EUは2050年の排出ニュートラル実現に向けた重要な施策として、2005年に世界で初めて排出権取引制度(Emission Trading System=ETS)を導入した。産業分野の主要CO2発生源である発電事業者とエネルギー集約型企業に排出削減努力を促す目的で始まった同措置は、域内の航空・船舶部門にも適用範囲が拡大した。対象分野の年間総排出量の上限となる排出枠を段階的に引下げ、同時に排出権の供給量を減らすことにより総排出量を削減する仕組みであるが、当初は排出枠が緩く、排出権を大量に無償供与していたため取引需要は小さく、取引価格も低かった。世界自然保護基金(WWF)の調査によると[1]、排出権の無償供与[2]は2013~2021年累積で全体の53%を占めた(ドイツは36%)。
このような不備を是正し、EU-ETSが企業に排出削減投資を促すインセンティブの役割を果たせるよう、EUは総排出権数を2020年から毎年2.2%(それまでは1.74%)引下げるとともに、無償供与も徐々に減らし最終的に廃止する計画である。また、2005年比での2030年排出削減目標が43%から62%に引上げられたことに伴い、排出枠の引下げ率も2024年から4.3%、2028年から4.4%に強化される。2013年平均で4.04ユーロ/tCO2だった排出権のオークション価格は今年70~80ユーロ/tCO2で推移しており、企業の排出コスト負担は著しく増大している。
半面、ドイツでは取引収入は、気候・トランスフォーメーション基金(Klima- und Transformationsfonds=KTF)が企業の排出削減措置、水素産業やEV充電インフラの構築など様々なプロジェクトを助成するための重要な財源である。連邦環境庁ドイツ排出権取引局(Deutsche Emissionshandelsstelle =DEHSt)によると、2024年のドイツのEU-ETS収入は約55億ユーロで前年比28%の大幅減となったが、建物暖房・道路輸送分野を対象にしたドイツ独自のETS(nEHS)収入は21%増の130億ユーロで、合計185億ユーロで前年を1億ユーロ上回り過去最高となった[3]。
EU-ETS I
EU-ETSは域内での年間排出量の上限を設定(排出枠)し、ETS対象の事業所は割り当てられた排出枠が実際の排出量を超える場合、その量に相当する排出権を購入するCap and Trade方式をとる[4]。排出枠が設けられているのはエネルギー・産業分野の固定施設(化石燃料を使う火力発電所、コージェネレーション施設、熱供給施設などの大型発電プラント、製鉄高炉、精製所、セメント製造、アルミ精製、化学プラントなどエネルギー集約型工業施設)と航空・船舶部門である。EU-ETS全体で約9,000の固定施設が登録されているが、ドイツの施設が総排出量の約27%を占め、ポーランドが14%、イタリアが10%と続く。2013~2021年の国別累積排出権(無償+オークション)取得シェアを見ると、ドイツは全体の21.8%を占める最大の排出権需要国でもある(ポーランド10.9%、イタリア10.2%、スペイン9.2%、フランス8.2%)[5]。ドイツ国内施設の2022年の排出量(CO2換算)を産業別に見ると、エネルギーが2億4,200万トンで、産業施設は1億1,200万トン[6]であった。EU-ETS全体の2023年の固定施設排出量は、経済活動の低迷も影響し前年17%下回る10億9,000万トンに減少した。2005年比では全体で約48%、ドイツ単独で44%減少した[7]。連邦環境庁(Umweltbundesamt)によると、同年の国内エネルギー固定施設877の総排出量は1億8,840万トンで前年を22%下回り、EU-ETS開始以降で最大の減少となった。火力発電量が石炭で36%、褐炭で25%と大幅減少し、両火力発電からの撤退戦略の効果がうかがえる。産業施設848の総排出量は1億100万トンで、前年比10%減少は生産活動低迷によるところが大きい[8]。
EU-ETS IIとドイツETS (nEHS) - 建物暖房・道路輸送分野
EUは2030年の温室効果ガス55%削減に向けた新戦略「Fit For 55」の一措置として、新たに建物暖房、道路輸送およびEU-ETS I対象外だった小規模固定施設に2027年から排出権取引を義務付ける(EU-ETS II)。これに先立ち、ドイツは2021年に化石燃料サプライヤー(暖房用灯油・駆動燃料)を対象とした国内排出権取引制度(nationaler Emmissionshandelsystem=nEHS)を導入した。同事業者に前年の排出量(販売した燃料の消費により発生するCO2の量)に相当する排出権を翌年9月までに購入・償還する義務を課すもので、燃料需要家が排出コストを試算しやすいよう排出権は固定価格とされた。初年度は25ユーロ/tCO2で、その後段階的に引き上げられ、今年は55ユーロ/tCO2である。2026年からは価格帯55~65ユーロ/tCO2でのオークションに移行し[9]、最終的には2027年1月に開始予定のEU-ETS IIに統合されnEHSは廃止される。EU-ETS IIでは2030年の総排出量を2005年比42%削減できるよう排出枠が設定され、EU-ETS I同様、市場安定化リザーブ(Market Stability Reserve=MSR)で排出権の需給を調整し、価格高騰に対処する。
炭素国境調整措置(CBAM)
ドイツはnEHSによりエネルギー集約型製造業のコスト負担が一段と高まり、排出コストが低い国の製品との価格競争に晒されるとして、燃料排出権取引(nEHS)によるカーボンリーク回避措置関連規定(Verordnung über Maßnahmen zur Vermeidung von Carbon-Leakage durch den nationalen Brennstoffemissionshandel=BECV)を2021年に導入した。カーボンリークリスクが大きい業種で、排出削減策を実施しているなどの要件を満たせば、事業者の申請に応じて排出コストの一部を補助する。EUも同様のリスクを想定し、炭素国境調整措置(Carbon Border Adjustment Mechanism=CBAM)を2023年からの準備期間を経て2026年に本格的にスタートする。CBAM対象の輸入製品(セメント、鉄・鋼鉄、アルミ、肥料、電気、水素)には域内企業が支払う排出価格相当のCBAM権の取得が課される。
※この記事は、英国のロンドンリサーチインターナショナル(LRI)の許可を得て、LRI Energy &
Carbon Newsletterから転載しました。同社のコンテンツは下記関連サイトからご覧になれます。
[1] WWF Report:Where did all the money go? (2022年11月発表) https://wwfeu.awsassets.panda.org/downloads/ets_revenues_report_2022___web___final.pdf
[2] 無償割り当てはエネルギー施設で2013年から全廃。排出コストが低い国への生産移転等(カーボンリーク)のリスクが比較的小さい産業施設では2026-30年の間で全廃。
[3] DEHSt 2025年1月7日付プレスリリースhttps://www.dehst.de/SharedDocs/Pressemitteilungen/DE/2025-001-jahresabschluss-2024-euets-nehs.html
[4] 現在EU加盟27カ国に加えノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタインが参加している。
[5] WWF Report:Where did all the money go? (前掲)
[6] このうち鉄鋼3,320万トン、石油精製2,350万トン、セメント1,880万トン、化学1,410万トン
[7] DEHSt :Wie funktioniert der Emissionshandel? https://www.dehst.de/DE/Themen/EU-ETS-1/EU-ETS-1-Informationen/EU-ETS-1-verstehen/eu-ets-1-verstehen_node.html#doc283528bodyText3
[8] 連邦環境庁(UBA)https://www.umweltbundesamt.de/daten/klima/der-europaeische-emissionshandel#teilnehmer-prinzip-und-umsetzung-des-europaischen-emissionshandels
[9] 連邦経済気候省HP https://www.bmwk.de/Redaktion/DE/Dossier/emissionshandel.html