欧州初となるトリウム溶融塩原子炉(Molten Salt Reactor=MSR)の実験に向けた施設建設の準備が、ドイツ国境に近いスイスのVilligenで進められている。デンマークのCopenhagen Atomicsと、スイスの自然科学・エンジニアリング分野の研究機関で核エネルギー技術の権威であるPaul Scherrer Institut(PSI)は、Copenhagen Atomics開発の実験用新型原子炉を設置、テストする目的で、2024年に共同プロジェクトBALDER[1][2]を立ち上げた。実験施設はスイスの核エネルギー法によるリスクポテンシャルが低い核施設(研究用原子炉など)として認可される予定で、高レベルの放射性物質の分析・研究のため安全性が確保されたPSIのホットラボに隣接して新設される。モジュール式実験炉は輸送コンテナに入る大きさで、商品化モデルと同じサイズだが、出力を定格出力の最大100分の1に下げて実験する。核分裂生成物とその発生量など原子炉の挙動安全性を検証するには十分な出力であるという。同実験では、MSR商品化のための基礎研究の推進、モデル化ツールの使用の検証、構造・システム・コンポーネントの信頼性の実証に注力する。プロジェクトの投資額は明らかにしていないが、Copenhagen Atomicsが全額負担する。
Copenhagen Atomics、トリウム溶融塩原子炉(MSR)の実用化目指す[3]
Copenhagen Atomicsは、ウランに比べ核暴走が起きにくい高い固有安全特性、低い核拡散性、資源量が豊富などの長所を持つトリウムを利用して、低コストの核エネルギーを供給するため、トリウム溶融塩炉の開発と実用化に取り組んでいる。自社開発の小型原子炉設計システムは投入資材を減らすとともに大量生産を容易にし、建設費用を抑えることができるという。2027年からスイスで初代モデルを試験炉で実験し、2030年の商業運転開始を目指している。同社は自己調達資金で顧客の敷地内に原子炉を建設、運営し、顧客に売電するというビジネスモデルを描き、通常の原発による平均的電気料金の4分の1程度で電気を提供することを想定している。
今年2月には、ノルウェーのレアアース鉱床Fensfeltetの開発会社Rare Earths Norway(REN)とトリウム調達のための基本合意(LoI)を交わした。RENによるとFensfeltetのレアアース酸化物合計量(TREO)は直近の推定で1590万トンと欧州最大である[4]。同鉱床ではトリウムはレアアース採掘の副産物であり、本格的な採掘はまだ行われていない。両者は同合意を長期的に欧州のトリウムサプライチェーンを構築するための戦略ステップと位置付けている。
核エネルギー政策の軌道修正の動き
スイスはドイツと同様、福島原発事故をきっかけに原発からの撤退方針を決め、核エネルギー法で原発新設禁止を規定した。だが、近年の世界情勢の悪化で化石燃料に関わる地政学リスクが高まり、エネルギー政策への風向きが変わってきた。連邦参事会(内閣)は2024年8月、排出削減目標や電力供給安定化などを考慮し、再生可能エネルギーを補完する重要なグリーンエネルギーとして原発の新設禁止を見直すことを決めた。新設許可を盛り込んだ核エネルギー法改正案は、今年8月までに議会で決議される見通しであるが、可決された場合、緑の党は国民投票を要求すると息を巻いている。[5] [6]
デンマークは1985年以降、原子力発電施設を禁止しており、関連法が整備されていない。このため国内で原子炉の核分裂連鎖反応を実験できないことが、Copenhagen AtomicsがスイスのPSIとの実験提携を決めた背景にある。だが、デンマーク議会が昨年5月、自国のエネルギー安全保障を強化するため原子力発電の利用について調査することを採択し、小型モジュール炉(Small Modular Reactor)など新しい核エネルギー技術などの分析を進めるなど、原発禁止見直しの動きが始まっている。[7]
2023年春に最後の2原発を運転停止し、原子力から完全撤退したドイツでも、電力価格高騰や将来の電力供給安定化への不安などを背景に、原発再導入を求める声が上がっている。連邦議会では今年3月5日、右翼ポピュリズムの野党AfD(ドイツのための選択肢)が提出した①核エネルギーの再導入により国家助成金による新設ガス発電所の設置数を減らす、②核エネルギーを環境にやさしくクリーンなエネルギーとして認める、という二つの議案について第一回読会で議論が行われた[8]。与野党ともに、原発はガス発電に比べ需給調整にフレキシブルでなく投資から核燃料廃棄物の保管に至る総コストが膨大であるなどを理由に同議案を批判している。だが、Merz首相は繰り返し「原発撤退は重大な戦略ミス」とし、SMRなど新技術の調査や利用を支持する立場を示している。地元週刊誌Focusは、Reich経済相の指示で同省が他国でのSMR導入コンセプトの調査を開始したと報じている[9]。核エネルギー再導入を検討する機会を逃してはならないという、緊迫感が政府内で強まっているようである。
※この記事は、英国のロンドンリサーチインターナショナル(LRI)の許可を得て、LRI Energy & Carbon Newsletterから転載しました。同社のコンテンツは下記関連サイトからご覧になれます。
[1] PSI HP Projekt: BADLER https://www.psi.ch/de/ahl/projekt-balder
[2] BALDER:Bereitstellung der Auslegungs- und Lizensierungs-Dokumente für das Erste MS-Reaktor-Experiment(溶融塩原子炉初実験に関わる設計文書およびライセンス取得用文書の提出)
[3] Copenhagen Atomics https://www.copenhagenatomics.com/technology/
[4] Rare Earthe Norway HP https://rareearthsnorway.com/
[5] World Nuclear Association HP Nuclear Energy in Switzerland
[6] SRF 2026年1月20日付ニュース https://www.srf.ch/news/schweiz/comeback-der-atomkraft-bundesrat-albert-roesti-erwaegt-foerdermittel-fuer-neue-akw
[7] World Nuclear Association HP Nuclear Energy in Denmark https://www.world-nuclear-news.org/articles/denmark-begins-study-on-potential-use-of-nuclear-energy
[8] Bundestag HP https://www.bundestag.de/dokumente/textarchiv/2026/kw10-de-kernenergie-1150490
[9] Focus TV https://www.focus.de/earth/katherina-reiche-plant-deutschlands-rueckkehr-zur-atomkraft_7bcb779b-beb7-489d-a305-cb611b62235e.html
[2] BALDER:Bereitstellung der Auslegungs- und Lizensierungs-Dokumente für das Erste MS-Reaktor-Experiment(溶融塩原子炉初実験に関わる設計文書およびライセンス取得用文書の提出)
[3] Copenhagen Atomics https://www.copenhagenatomics.com/technology/
[4] Rare Earthe Norway HP https://rareearthsnorway.com/
[5] World Nuclear Association HP Nuclear Energy in Switzerland
[6] SRF 2026年1月20日付ニュース https://www.srf.ch/news/schweiz/comeback-der-atomkraft-bundesrat-albert-roesti-erwaegt-foerdermittel-fuer-neue-akw
[7] World Nuclear Association HP Nuclear Energy in Denmark https://www.world-nuclear-news.org/articles/denmark-begins-study-on-potential-use-of-nuclear-energy
[8] Bundestag HP https://www.bundestag.de/dokumente/textarchiv/2026/kw10-de-kernenergie-1150490
[9] Focus TV https://www.focus.de/earth/katherina-reiche-plant-deutschlands-rueckkehr-zur-atomkraft_7bcb779b-beb7-489d-a305-cb611b62235e.html
